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雑談とか日常思ったこととか

「好き」な感情を思い出すには

1月も下旬になり、2015年の年度表記にもだんだんと慣れてきた気がします。

まだ「平成27年」には慣れない感覚も残っていますが。

 

今日は、「好き」という感情の扱いについて、

僕が出した考えを書いていこうと思います。

 

好きな趣味がない、素敵な出会いがない、やりたいことがわからない。

なにかを好きになれないから、今の日常が退屈だけれど、

それでも現実は進んでいくから、偽り、妥協を通じて、なんとか生きている感覚。

 

そこまでは思わなくても、なにかを好きになってのめり込むのが苦手だったり・・・

何かを「好き」になるって、ほんとうに難しいと思います。

 

何かを好きになって充実した人生を歩みたい!!
時間を忘れて没頭できる何かを見つけたい!!
と思っているあなたの参考になれば幸いです。

 

僕自身も好きなことってなかった時期があって惰性でなんとなく生きていた時期があり、本田健さんの本とか、ドクター・ディマティーニさんの本とか読んだりして、好きなことを探していました。

 

ザ・ミッション 人生の目的の見つけ方

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大好きなことをやって生きよう!

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生きがい喪失の悩み (講談社学術文庫)

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「生きがい」とは何か 自己実現へのみち (NHKブックス)

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本を読んだ結論をまとめると、

 好きなことは自分自身で創りだすもので、

 好きなことが見つからないと言っている人は、

 もったいない人生を歩んでいる 

ということです。

 

誤解を避けるために説明すると、

なにもせず、だらだらすることが悪い、って言ってるわけじゃないです。

だらだら過ごすのが「好き」ならそれでいいんです。

ただ、「好き」なことを「やっている」という自覚があれば良いということです。

 

「好き」って、そんな努力がいるものなの?

自分自身で創りだすって・・・しんどいな

 

僕は最初そう思っていました。

好きっていうのは、自動的になるものであって、

自然と積極的な気持ちになるものだって。

 

確かに、子供のころ好きなことに熱中していた日々には、

好きになるための努力なんかした覚えはありません。勝手に好きになりました。

 

ただ、大人になるにつれて「好き」を感じる頻度が少なくなっていき、

しまいには不感症の無気力状態になっていて。。。

 

どうして、

「気がついたら好きになっていた」

といった感覚が、消え失せていったのでしょうか。

 

その答えは、

「過去の経験と比較してしまうから」

です。

 

子供のころから、いろんな良いもの、悪いものを見てきて、

だいたいの物事は見聞きした瞬間に、
蓄積した知識と比較できてしまうようになったんです。

 

例えば、昔好きだった歌手の曲、最近聞きましたか?
あるいは、最近の曲で好きな曲はありますか?

最近の曲が昔の曲と比べて劣るわけではないですが、
「世代」の曲はあると思います。

だいたいは、中高生のころに聞いていた曲になると思いますが、
なぜでしょうか?

科学的な分析はできませんが、音楽に出会うのがだいたいその頃で、
めっちゃいい!と思える曲に出会うからだと思います。

で、その曲や、その歌手の曲を聞いて、「好き」だと思う感情を消費します。
やがて、その曲にも飽きて、でも、その曲以上の曲には出会えなくて、
まぁ、そんなもんか、と落ち着いて、好きな曲を今後見つけられず、
時代がすぎるのです。

今、新しい曲から好きなものを探すよりも、
自分が好きだった曲を聴いたら、またハマるかもしれませんね。

 

「自分が過去に好きだったもの」という軸は、客観性がない軸なので、
好きなものを探す主要な軸の一つです。

 

好きなものを探すのに、お金や時間など、客観的な軸で判断したらダメです。 

例えばスポーツ観戦をコストパフォーマンスで選択をしたら、

2時間3,000円のサッカーよりも、3時間1,500円の野球のほうがよいでしょう。

もっとコストパフォーマンスが良い物を発見したら簡単に乗り換えます。

簡単に乗り換えられるものを「好き」と言えるでしょうか?

 

僕の感覚では、それは好きではありません。

現実的で、妥当な選択というだけです。

現実的に自分に一番現実的な利益が得られる選択、

これは、好きとはまったく関係のない選択です。

 

ビジネスの世界ならば妥当な選択が求められる場面も多くありますが、

私生活の好きになる対象にまで妥当な選択を求めたら、

好きになんてなれないでしょう。

 

個人的には理解できないものを好きになる人も多くいますし、

「好きなこと」は客観的なものさしで測れないのです。

 

好きなことでお金を稼ぎたい、という欲求もあると思いますが、
それが難しいのは、好きなことを客観的に測定してしまうからです。

自分が好きで作ったものに、値段をつけて売るとなれば、
その値段をどうするか、論点になります。

自分が満足する値段をつけて、それで売れれば一番いいです。

でも、買ってくれる値段に設定しなければ売れません。

自分が満足してかつ、誰かが買ってくれる値段、それっていくらでしょうね。

 

本題に戻して、好きなままでいたいなら、
何かと比較しないで、単に好き、と感じるんです。 

最初から全力で好きになれることなんて、歳を取るごとに減ります。

恋愛がわかりやすいですが、
経験を積むごとに、相手に条件を求めるようになりますよね。

 

「恋は盲目」

といいますが、盲目ってのは比較していないってことです。

常識的な、現実的なものさしで測らないからこそ、好きになれるんです。

 

余談ですが、

「仕事と私、どっちが大事なのよ!」

といった問いは、比較対象にないことを無理やり比較する質問で、

比較してしまって、

どちらも好きじゃない、と自覚してしまう危険なワードだと思います笑

 

頭が良い人ほどいろんな経験や知識から比較してしまうので、

好きになるのが難しくなるのかもしれません。

比較して考えないと、

 損をしているんじゃないか

 不当な扱いを受けるんじゃないか

 搾取されるんじゃないか

といったことを考えてしまうかもしれません。

 

もちろん、手を出す前にリスクを考えることは必要です。

でも、ちょっとやってみたい!って思う大抵のことに、

リスクなんてないんです。

 

ドラッグをやってみようとか、

身体を売ってみようとか、

「お金や快楽のため」に手を出すのは非常にリスクがあります。

 

でも、好きなこと、楽しいことなんて、せいぜい数千円~数万円で手を出せます。

お金を使うようになると好きになりやすいし、好きになるとお金を使う幅も広くなって充実した気分を味わえます。

好きになるのに、大したリスクなんてないんですよ。

今の時代は幸せで、ちょっとやってみたいって思ったら少額で大抵のことができます。

乗馬とか、アーチェリーとか、囲碁とか、テニスとか、その他やったことないことなて、探せば山ほどでてきますし、安値でできます。

宇宙旅行はまだまだ高そうですが笑

身近なところで、定期的に触れることができることを「好き」になることをおすすめします。心理学的にも、触れる機会が多いと好きになりますし。

 

あまり理論的ではありませんが、

好きな気分って、人生が充実している感覚になります。

自分は好きなことをやって人生を楽しんでいる!

といった感覚です。

 

だから、だらだら過ごすのが好きなら、だらだらを満喫すれば良いと思います。

でも、好きじゃないのに、

好きなものを見つけずに惰性でだらだらするのは

もったいないなぁ、と思うのです。

 

自分が体験したことのないこと、見たことのないものは、自分のなかに比較のものさしがあまりないので、好きになりやすいかもしれません。

あるいは、過去に捨てた好きなことに、ものさしなしで触れてみれば良いかもしれません。

 

「比較しない努力をする」

これを意識してみたら、好きなことを思い出したり発見できたりすると思います。

 

「好き」になるための意識について語ってみました。いかがでしょうか?

 それではまた。