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雑談とか日常思ったこととか

学校はいかなくていい

まとめ

学校で学ぶこと以上に学べるなら、

学校に行く必要はない。むしろ行かないべきである。

高校、大学は所詮、履歴書に「卒業」と書くためのもの。

学校で学べるならば学校で学べばいいし、学校が適さない場合には学校に行かないべきである。

小学校は、学校というより動物園の檻なので除く。

 

記事はこちら↓

僕は、学校って

 大っ嫌い!!!!!

なんですよ。

 

嫌いな理由はいろいろありますが、

「教師」っていう人種は9割がた人間のクズだから

というのが最大の理由です。

 

この話をしだすと、

「いきなりなんですか?!」

とかまえられるんですが、ちょっと聞いてほしいんです。

今の学校に不安を覚えるかたには特に。

 

学校はなんのために存在していますか?

勉強、社会、道徳、友達の作り方、

親から離れる練習、集団行動の経験、

その他、いろんな人がいることを学んだり、

教師がいてそれにみんな追随する経験をしたり。

総合的な役割を持っている。と言われています。

学問を教えるだけが学校の役割ではないと。

 

つまり学校は、生徒が

「学問を学ぶ」

「社会を学ぶ」

という2つの役割を担っていると言えます。

学問はわかりやすく、各科目の授業が行われます。

その他、体育や文化祭や運動会などのイベントや、

休憩時間の過ごし方などは、「社会を学ぶ」に集約されます。

 

で、学校の存在意義が問題になるときって、

 学習塾に行けば学校の授業は必要ない!だから学校はいらない!

といった場合が多いです。

最近では、学校には子供の学力向上を期待していない、

って名言する親もいるそうで、まぁ学校としては世知辛い世の中ですね。

 

学校不要論への反論は、学校は学問だけを学ぶ場所ではなく、

社会を学ぶ場だというものしか、僕は見たことがありません。

他にあったら教えてください。

 

で、社会を学ぶ場だとおっしゃるなら、

社会だけ教えれば良いじゃないですか。

と僕は考えるのです。

授業はいらない。休み時間と、美術・保険・体育・イベント、

それでいいじゃないですか。学校滞在時間は午前10時から2時くらいで、

昼休みを挟んで、放課後は部活をして、

それで社会は学べるじゃないですか。

 

まさか座学の授業中も立派な社会勉強だなんて言わないでしょう。

教師の話を黙って聞くことが社会勉強になるのなら、

まぁ従順な社畜の育成が進みますよね。

言われたことに従い、上下関係に圧迫され、無力感を養う。

なんて効果的な社会勉強でしょうか笑!

 

そんな勉強はもういらないんですよ。

必要ないんですよ、むしろ害悪です。

 

特に高校の勉強については、大学受験という市場が過当競争になっているため、

非常にわかりやすい参考書が本屋で2000円出せば買えます。

 

1冊1週間もあれば読めるように作られていますし、

その内容は学校で1年間かけて「教師」が教える内容になっていたりします。

本を1週間読むか、授業を1年間受けるか、どちらか選ぶとしたら、

1週間本を読みます。少なくとも僕は。

進学を考えていない生徒なら、本すらいらないかもしれないです。

高卒で働き出すとしたら、高校の勉強で役立つことなんて無に等しいでしょう。

数学だと微積分、理科は物理、化学、生物に分けられ、社会は日本史、世界史、政治経済に分けられますが、社会に出るために必要なものってないでしょう?

仮に社会に出てから必要になったなら、その人は社会に出た後に学びますよ。

 

小学校で習う分数の計算ができない!とかが問題だとすれば、

それは将来苦労すれば良いのです。高校であらためて習うことじゃないです。

 

学問を「わざわざ」「学校の」「授業で」学ぶ必要はなくなっています。

だって、わかりやすい本があるんですから。

授業なんていう「教師の趣味」に時間を割くのは無駄です。

 

たまーに、ほんとうにごくたまに、本よりわかりやすい授業をしてくれる「先生」がいます。

そんな先生の授業は重宝すればいいんです。

その他はぶった斬って、授業では本でも読んでいましょう。

 

僕が我慢ならないのは、無駄な授業をするクズの教師が、

偉そうに生徒に指導をしようと試みることです。

授業で寝ている生徒を起こしたり、

授業外のことをやっている生徒に罰則を与えたり、

聞く価値のない授業を延々としてるてめぇにそんな権限はねぇ!!!

と言ってやりたいもんです。

 

教師は、生徒の時間を奪って授業をしているんですよ。

その自覚を持って、奪った価値分は返してくれるなら、

その先生はいい人です。

しかし、大多数の教師は、そんな自覚なく、

「自分の話を聞くのは当然だ!聞かないやつを矯正するのも俺の仕事だ!」

とか思ってるわけですよ。

くたばればいいのに。

 

教師のクズさを語るのはここらへんにしておいて、

学問と社会のために学校があるとしたら、

学問の役割は、より優れた品で代替可能なわけです。

では、社会を学ぶために学校が必要ということになります。

 

ならば、現在のカリキュラムでできるのは、

・最初は学校に通い、友人を作る。部活に入る。

・友人と遊べる関係になった後に、座学の授業には出ないようにする。

・美術・体育・文化祭など学校でしかできないイベントには参加する

・イベントがなくなったら、中退して高卒認定試験を受けて大学受験する

といったところでしょう。

僕自身は、4番目の高卒認定試験の存在を知らず、

進学のためにしぶしぶ高校を卒業せざるを得ませんでした。

毎朝学校に行き、教師の授業に拘束されるのに、3年間耐え忍びました。

出席日数がギリギリ足りるように調整して休んでいましたが。

それでも教師の顔を見るたびに吐き気を催すほどに教師が嫌いでした。

なお、同じ学校の友人とは今でも仲が良いです。

座学に半分しか出ていなくても、社会はちゃんと学べているのです。

 

だから、学校の役割は「社会の学び」のみと、いずれなってほしいものです。

学問なんて、やりたい人は本屋に行けばいいんですから。

 

今回僕は高校を念頭に学校を語りました。

高校は社会よりも学問を学ぶ比重が高くなるところでもありますし、

いわゆる「授業」を受けた一番最近の記憶だったからです。

でも、小学校、中学校でも同じことが言えます。

学問は他に学び方がありますが、社会は学校で学ぶ以外にありません。

 

特に小学校なんかは、学びというよりも、

「人間の子供」という動物を躾けるための檻

というほうが正しいかもしれませんし。

 

中学はその間だから、檻としての役割なのか、

社会・学問を学ぶ場なのか、学校によって違うのでしょう。

 

檻に閉じ込められる状態はいずれ卒業します。

与えられた状況に満足しなかったり疑問を抱いた時点で、

檻は消滅します。

自覚がないから、見えない檻に閉じ込められるのです。

 

見えない檻が見えたら、檻から解き放たれましょう。

教師によって無理やり檻に戻されるような教育は、僕は教育と認めません。

そんな社畜要請教育は時代と合わなくなりました。

 

学校の存在に疑問を抱いているかたへの参考になれば幸いです。

それではまた。