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雑談とか日常思ったこととか

「努力できる才能」とか言い出したら負け

まとめ

「才能のせい」

といって、すべて何か自分の意志じゃないものに責任があると思うのは簡単。

「自分がコントロールするべき」ものまで、

才能、環境、時代、家族などの、自分の意志以外のせいにする人がいて残念。

 

自分がコントロールできる範囲を広げたほうが、

自分の思ったように生きられるのに。

 

「努力できる才能」というのは、

「生まれ持った才能によって自分の未来は決まる。自分の意志は介在しない。」

って言っているようなもの。

生まれた瞬間に人生が自動的に決まるっていう運命論だ。

 

自分の未来は自分で切り開ける時代がきているのに、

自分で自分の可能性を摘むとかもったいない。

 

記事はこちら↓

だいぶん時流に乗り遅れましたが、

最近妖怪ウォッチを見ました。

 

ご多分に漏れず、第一印象は「あー、これ子供の教育上よくないなー」

でした。

何かがあったら「妖怪のせい」

言いかえると何かをやらかしたのは「自分のせいじゃない」

 

まぁ、アニメ自体が子供の成長にどの程度影響するのかわかりませんので、

見せないほうがいいとかそんな議論はしません。

 

僕が言いたいのは、

「◯◯のせい」

の◯◯に、「自分」を入れないのは良くない、ということです。

 

「自分のせい」ということは、

「自分のコントロールの下にある」ということです。

コントロールできる範囲は、狭いより広いほうが楽しいですよ?

お金とか時間とか人間関係とか。

 

広すぎると荷が重くなるのでほどほどがいいとも言えますが、

病気など特殊な要因がある場合は除いて、

最低限、自分の生活は自分のコントロール下がいいと僕は思います。

 

「努力をしても報われない社会が悪い」

という主張ならわかります。

江戸時代の士農工商時代なら、生まれた瞬間に職業がほぼ決まっていましたし、

与えられた身分で、惰性で生きるほうが簡単だったのだと思います。

 

でも、今の時代は違います。

がんばれば成果を出せる可能性が高い時代です。

失敗しても、逆転の目がゼロにはなりません。

 

ならば、あとは自分の行動しだいです。

努力できる才能がないって言葉には、

心の筋トレが足りてないように僕は感じます。

努力には自制する心の力が必要だから。

 

運動不足の人にいきなり「腕立て100回やれ!」って言っても、まずできません。

同じように、心が弱い人にいきなり「朝1時間早く起きて英語やれ!」って言ってもほとんどできません。

 

筋肉と同じように、心も鍛えられます。

逆に鍛えずにぐうたらしていたら、ふにゃふにゃになります。

 

少しずつトレーニングして、基礎となる身体(心)を作って、

ようやく成果に結びつくのです。

 

「努力の天才」なんて言い方で、

成果を上げている人を貶めないでほしいです。

まるで、

「自分も努力ができれば同じ成果をあげられた」

と言っているように聞こえます。

身体も心も、鍛えればある程度強くなります。

トップレベルでは、その中でも特に鍛え上げた人でかつ、

努力の才能じゃない本当の才能があった人が勝者になれるのです。

 

でも、社会で生き抜くためには、そこまでの才能は必要ありません。

今の時代は、ある程度鍛えればそこそこやっていける世の中だと僕は感じています。

1日最低1個、自分の自制を働かせた!って思うように行動してみてはいかがでしょうか?

 

それではまた!