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雑談とか日常思ったこととか

俺ガイル やっぱおもしろいわ

今になって思う。

俺は俺らしさを捨てて生きてきたんだと。

 

たいして好きでもないものを、みんなと合わせて好きといい、

たいして良いと思わないものを、相手にあわせて「いいね!」っていう。

 

今で言うと、Facebookリア充アピールする感覚に近い。

 

所詮、現実に満足するなんてめったにない。

物語の世界じゃ、自分が求めてるものがひとつで、

それを叶えるために全力を注いでいる登場人物が大勢いる。

 

でも、物語の人間は、イベントがないと食事を取らないし、

ふと思いつかないとトイレにも行かない。

 

物語には、現実の生理現象が省かれている。

密度が高い経験を抽出して表現されているから、

感情が起伏する。

 

現実には、密度の高い経験なんてほとんどない。

数時間立てばお腹もすくし、トイレにも行くし、眠くもなる。

それを忘れて集中出来る時間ってなんだろう。

 

俺はその答えを、

「自分らしく生きる時間」

だと応える。

 

人の目線や期待に振り回されるんじゃなく、

自分が嫌いなものをはっきり拒絶し、

自分が好きなことに全力を尽くすこと。

 

自分らしくというのは、そういうことだ。

思いを乗せることのない薄っぺらい時間が、

人生の大半になるのだけれど、

自分らしく生きれる時間をより多く作りたい。

 

好きなスポーツをやっているときは自分らしくいられる時間だ。

スポーツでは、俺は勝ちたくなる。

勝ちにこだわるタイプだ。

 

勝ちにこだわるのは、勝ちがすきだから。

人の目線や期待値は関係ない。俺が勝ちたいんだ。

 

目指すべき好きなことが、スポーツだとはっきりしてる。

だから、がんばれる。

 

勝ちたい目標が、スポーツしか設定できない今の俺は、

腐ってる。

 

俺が俺らしくいられたころ、俺は、

教師に勝ちたかったし、

友達に勝ちたかったし、

世間の目に勝ちたかったし、

親に勝ちたかった。

 

今俺は、全部勝った。

俺が強者だと、認めさせた。認めさせたつもりになっている。

少なくとも、俺は勝ったと思っている。

だから、張り合いがないのだろうか。

 

燃え尽き症候群という心理状態があるらしい。

俺は勝ちたい相手に勝ったけれど、

もっと上はたくさんいる。

その上に勝ちたいとは、今は思っていない。

なぜなら、俺のそばにいないから。

周りにいる人間よりも、俺は同等以上だと思いたい。

 

だから俺は嫉妬しない。

俺自身が、何をとは言語化しにくいが、もっていると思い込んでいるから。

 

でも、周りに好かれたい。

認められたい。

信頼されたい。

 

むしろ、好かれて、認められて、信頼されて当たり前、と思い込み、

なのになんであの人には好かれてないんだろう?

と疑問を感じる程度には、ナルシストでいたい。

 

恋人にフラれた人が、「後悔させてやる!」って叫ぶのににてる。

なんで俺のことを好きじゃないんだろう?

おかしいだろ!認めさせてやる!といった感情。

 

多数決は愚者の賜物だし、

少数派が駆逐されるのは数の暴力だ。

 

論理こそが感情の至高だ。

ただの感情論が、論理性を帯びることによって、

強力な説得力を得るようになる。

 

論理性と感情は、近似した心理なんだ。

感情が受け入れてはじめて、論理的な説明を考えるようになる。

 

だからこそ、論理だけを信じちゃいけない。

受け入れない言い訳がないことが、悪いことじゃない。

感情こそが論理を生み出すのだから。

「わっかんない!!!」

このひとことで、論理は吹き飛ぶ。

感情が受け入れない論理は無意味だ。

すなわち、自分がいかに論理的に感情を表現したとしても、

相手にとっては無意味な可能性があるということだ。

 

感情を切り離して、

事実を見るようにすればいい。

 

世の中は感情にあふれている。

事実を覆い隠そうともがいた虚像、それこそが逆説的に現実だと思う。

その中で、事実、真相、本物を見抜き、現実に溺れないようにしたい。

 

俺は現実に溺れていた。

虚像の現実に振り回され、

舞台の役者のような立ち回りを自分自身に強要していた。

 

楽しくなかったわけじゃない。

ただ、本物に負けた感触をずっと持っている。

 

本物はこんなものじゃない。

本物はもっとすごい。

いずれ俺も本物になる。

 

そう感じながらも、数年たってもまるで変わらない。

 

実は現実こそが本物なのだろうか。

いや、それを俺は受け入れられない。

現実よりも理想のほうが、本物に近いと感じるから。

 

「俺ガイル」読みすぎかなぁ。

共感ポイントが多すぎて、何度も読みなおしてしまうのだけれど。

本物=理想=生理的現象を超越して常に自分が充足を感じる時間を生きること

現実を嘘だとは思わない。でも、本物だとも思えない。

俺が充足を感じる現実こそが、本物なんだと思う。

 

抽象的すぎて自分でもどうしたらいいのかわからないけれど。

それでも、「自分らしさ」という本物を発揮できる瞬間は、楽しく感じれる。