読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

オレンジ色

雑談とか日常思ったこととか

住む場所とか収入とか

いろいろ考えてしまう。
いろいろといっても、考えることなんて限られているのだけれど。

好きな人と、住む家・場所、その後。
考えて悩むことなんてそんなもんなんだよな。

悩んでも仕方がないことでも、悩まざるをえないような、
感情のゆらぎというか、感情の持ちようかな?
スパっと割り切ることができる部分って、人によってほんとにまちまちで、

だからこそ、相談したりされたりしたときに、
「え、そんなことで悩んでるの?」
という反応になったりする。

そして、
「あー、なるほど、、この人にとっては大事なところじゃないんだ。
なら、自分が大事に思いすぎてるだけなのかなぁ」
とか思って、悩みの重さを軽くできたりする。

悩みなんて、重いと思うからこそ重たくなるのであって、
誰かの悩みと比較しさえすれば、
個人が持つような悩みなんて大したことない。

という結論には達するんだよ。

例えばの話だけれど、どこの国でもいいけれど、
戦争をすれば最大200万人の犠牲で勝率が70%、
敗戦となればどうなるか不明、
ただし、このままなにもしなければ50万人の犠牲と500万人の貧困が発生する、
とかいう状況の国家の責任者(総理大臣とか)の苦悩とか、
そんな、大勢の他人の責任を背負える個人になんてなりたいとは思わないし、
目の前以上の人に対する責任なんて負いたくもない。

だから、目の前にいる人への責任なんてものは、
人類全体からすれば些細な出来事なんだ。

けれど、俺を含めて、個人にとっては果てしもなく
重大なことだったりする。

些細なことに、いかにこだわってしまうか。
いかにこだわれるかが、自分自身の感情になっていくのだと思う。

感情がこだわりを作って、
こだわりが感情を強くする。

そんな感覚。

こだわりなんて捨てれれば、
合理的な人間ができあがるのだろうけれど、
そんなのは「人」生じゃないんだろうな。

人って、そんなに強く生きられない人が大半だと思うし、
俺も例外からもれず、
強くない。

弱っちいただの人間だ。

本当の大衆なりに、自分自身を特別視できれば楽なのだろうけれど、
そこまでバカにもなりきれないというか。

 

何かにこだわった時点で、
その人の個性が出る反面、
「こだわりを持つ」
という人間臭さが発露する。

俺は、自分自身の人間臭さを自分で認められずに、
完璧を求めて生きている。
現在進行形で、完璧じゃない自分を死ねばいいと思って生きてる。

元カノからは、
「なんて生きづらそうなんだろう」
って言われたし、言われたこと自体に傷つく時点で、
完璧には程遠い存在だと自覚して、さらに落ちこんでいく。

割りきったキャラになりきるのが、
今の時代を生きるために必要なんだと思ってる。
キャラになりきって演じきれば、
他人にわかりやすく、自分を生きられる「気がする」から。

俺は、そこに「嘘っぽさ」を感じる。
「キャラ」と「自分」の乖離というべきか、
『本当の自分』なんてものはどこにもないけれど、『自分じゃない感』、
とでも言うか。

しょせん、言葉なんてものは人間が持つ感情のごく一部分しか表すことができないし、
共感される言葉なんてのは、
自分の気持ちから、相手にわかりやすいように加工された言葉なんだ。

「人間同士」という共通項をもって、
言葉を語るからこそ、言葉で通じあってると思える、共感しあってると思えるんだ。

相手が、自分の考えていることを当てたときには、
自分と通じあってる感があって、
一人じゃない。と思わせてくれる。孤独を感じさせずにいさせてくれる。

実際に相手がどう思っているかだなんて関係なく。

だからこそ、人間自身が全くの不完全な存在なんだ。

言葉を発する時点で、自分と他人とで言葉の意味が乖離する。
でも、互いに「分かり合った」気になってる。
その、分かり合った気こそが重要な気がするんだよ。
永遠に、その感覚にだまされていられれば、
どんなに幸せだろう・・・

さてと、彼女をつくれるように、仮面をかぶって来週も働きますか。