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オレンジ色

雑談とか日常思ったこととか

どこまでさらけ出せるか

本当の自分をどこまでさらけ出せる?
その問いへの答えは持ってない。

いつも、何かを演じて他人を信じ切れずに間違えてる。
それが俺のパターンなんだろうな。
信じようと思って、信じたいと願って、
でも、信じきれなくて、自分を理想の自分にキャラ付けして、
ただの感情だけをぶつけるとこができず、
相手が嫌わないであろう『キャラ』にゆだねる。

自分じゃないなにか。
それに、自分の感情をなすりつけて、
責任をおしつけて、
非現実だと感じてる現実の自分自身の言動に絶望して、
自分自身で自分の殻に引きこもる。

『本当の自分なんてない。あるのは他人の中に生きる自分だけだ』
なんていう、相対主義な主張もあるけれど、
自分は確固たる自分だし他人に規定されたくもない。
誰かに生かされている人生だなんて当たり前の現実で、
だからといって誰かのために決められた人生だなんて思わない。

決めるのは自分なんだ。
そう冷静に考えはするのだけれど、
現実の自分は上手くいかない。

誰かの行為を、好意をもらうためにがんばって、
がんばった結果が行動に出てきて、
行動が思想と噛み合わず、
誤解をその誰かに与えて、
互いに、私を失望する。

自分で自分を失望してかつ、
相手からも失望される。

そんな地獄のような状況に身を宿らせて、
死なないという精神のみで生きる。

困った人間だ。

誰かから必要とされたいと願うけれど、
自分は誰も必要としない。
必要とした誰かがいなくなったら生きられないから。
必要とされたいけれど、必要としたくない。

矛盾というよりは、ずるい精神。

そんなことをしても、必要とはされないとわかってるけれど。
対等であることを正義と信じる、俺を含む現代人は、
対等でなくキャラを演じてる状態は嘘と感じやすいと思う。

なんて生きにくいんだ、現実って。

自分の本性のたった一部分でしかない『キャラ』を絶対視して、
そこからの逸脱や進歩、退行は許されない、

そういった状況、と、自分が信じてるだけ。

でも、信じちゃったらしかたがない。
宗教でもなんでも、信じることで救われるとか言うけれど、
信じないことを信じても、何も信じられなくて空虚が残る。

自分の好きなものを信じたり、自分が好きになったりすることを、
本当に良いと思えるようにしたら、少し前進できる気がしている。