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雑談とか日常思ったこととか

数字を見ないほうが幸せになれる

数字は人を傷つけるから、
数字を見ないほうが、幸せを感じられる。

今日、職場の先輩と話していて、そう感じた。

うちの会社は、ボーナスが利益への貢献額順に貰える。
で、利益への貢献額は、自分のものと、自分と同じ職階の平均値がわかる。

同じ職階の中で勝負するから、その平均値より上か下かで、
安心したり、ショックを受けたりする。

でも、僕はそのシステムを今日まで知らず、
職階の平均を今まで見たことがなかった。

幸い、平均値より上だった。

だからホッとしたけれど、
仮に平均値より低かったら、
ショックを受けていたと思う。

あれ、足りてないのか。。。
と。

そりゃ、数字を見るまでもなく明らかにダメだと実感していたら、
むいてないのかもしれない。

けれど、がんばったのに、数字に出ないときだってあるし、
数字が出たからといってそのときがんばった結果だとは限らない。

だから僕は、
その数字を見れることを知ったけれど、
見ないと思う。

 

同じように、
例えば年収。同窓会とかで他人の年収を知ることもあるけれど、
数字は比較のためにあるから、
同窓会で、同じ立場だった人間の、優劣がつく。

年収、という一区切りの指標だけれど、「優れた人」と「劣った人」を作るんだ。
数字という意味では学校のテストでも同じだけれど、
『お金』に関する数字の力は、強くて魅力的。

仮に、同窓会にいたメンバー全ての中で、
自分が一番年収が低かったことが判明したとしたら?

イヤじゃない?

プータローで下がいないとわかっていたとしても、
自分をゼロだと、貶めたくないと思う。
同期とは対等な人間だと、自分を認めたいと思う。

だから、数字を見ないほうが、関係をより深くしやすいと思う。

お金に限らず、例えば年齢、身長、労働時間、付き合った人数なんかは、
数字にできる。
大小のどちらが優れているかわかりにくいこともあるから、
一概には言えないけれど、数字は人を傷つける。

真実なんていらない。
妄想だけの、理想郷で生きていたい。

皆が皆、自分のことを認めて、相手を敬い、
日々平和に過ごすことができる環境。

でも、そんなものは存在しない。
あるとすれば、大金持ちがWinWinとか言いながら創ってる環境だ。

「良いこと」を、何の見返りもなくできるような、
持ってる人だ。

僕は、もっとほしい。まだ持っていない。
だから、幸せを感じにくいし、欲望がうずく。

数字を見なくても生きられるほどに、
数字に執着して、稼ぎたい。

でも、その考えを否定したい自分もいる。
難しく考えて、結局結論を出せない自分にイラつくけれど、
それが僕なんだよなぁ。。。