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人生の意味

生きている意味は自分で規定するしかなくて、
探して見つかるものでもない。
かといって、

なんの情報もなく自信をもって、
生きる意味を定義するのもむなしい。

生きる意味が見つからなくて苦しい状態はありえるけれど、
だからといって、解決策があるわけじゃない。

だって、生きている意味なんて、
誰も見つけてはいないんだから。

意味を見つけた人は、勝手に自分で見つけたと思い込めた、
ということ。

生きる意味を論理的に説明なんて不可能なんだから。

 

たいていの物事は、なんとなくいい感じにバランスが取れていて、
明確な意味なんてない。

危機に陥ったときに、そもそもの意味を問い詰めることになる。

マイケルサンデルさんの本で有名になった、トロッコ問題なんてのは、
意味を問い詰めるための極端な例だと思う。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

5人が死ぬか、1人を殺すか、という選択肢しかない場合に、
どうするか。

サンデルさんの本では、その答えは人による、
よりも、1人を殺す方法によって変わるらしい。

 

詳細は本を読んでもらえればと思うけれど、
自分の手で1人を死地へ突き落すか、
自分はボタンを押すだけで1人が死ぬことになるか、
どちらにしろ、その1人は死ぬし、苦しみも変わらない。

 

統計的には、前者のほうが選択しにくい選択肢らしい。

つまり、結果は変わらないけれど方法が違うだけで、
人間の判断は変わるということ。

 

些細な方法の違いで、人間の選択が変わるのに、

人生の意味なんてものを定義して、
その意味に合致する生き方をして、
意味に合わないものを排除するなんて、

それは無理でしょう。

もちろん、ドラッグとか、自分の人生で絶対にしないことは、
定義し得るけど、
だからといって、中途半端な領域、
例えば、中毒性を引き起こす可能性がある酒やたばこ、
病気を治すためだが副作用がある薬、
なんてのは、

自分がその生きている現在に判断するしかなくて、
過去から将来に渡って、自信を持った選択なんてできない。

明らかに拒否する領域以外の物事は、
自分の中のバランスから判断されるだけで、
そこに意味はない。

だから、自分の人生の意味を見つけた、
と思ったとしても、それは現在の自分にとっての意味であって、
恒久的に定められたものではない。

誓いによって、それを自分の人生の意味と、自分が定義することしかない。

人生の意味が外から降ってくる、なんてことはない、ってこと。

そこに気付かずに悩み苦しむ必要はない。
でも、僕としては、これが悩んだ末の結論だから、
悩むこと事態を否定するつもりもない。

現在をなんとなく生きている人間にとっては、
なんでそんなことに頭を悩ませるのか理解に苦しむ、
といった反応が多い。

でも、自信を持てない状態だからこそ、人生に意味を求めているのだから、
そこから思考放棄したら、負けだと思う。

 

今現在、自分が生きていることを認識できれば、
過去も将来も関係なく、今を意識するようになれば、
気持ちは楽になる。

ただ、それだけじゃなくて、今現在でもよいから、人生の意味らしきものを、
勘違いでも信じてみようと試みたら、いいんじゃないかと、今は思っている。