オレンジ色

雑談とか日常思ったこととか

「わかりやすい」というのは「他をぶった切った成果」

今、俺が非常に悩んでいるテーマが、
「伝わらない」
ということ。

どんなに簡潔に完結しようとも、
難しいことは、数行では伝わらないんだと。

仕事柄、「◯◯の案件は良いです(ダメです)」
という結論を出すことが多いけれど、
要はその結論に対して人の「思い」というものが載っかているんですよ。
僕は、個人としては思いがあればなんでもできる、ということに賛成です。

例えば、全打席進塁したいと考える野球選手もいれば、
全シュートを決めたいサッカー選手もいると思います。

現実に、それを阻むのは、人間自身です。

たとえバッティングセンターで全打席ホームランを打てたとしても、
現実のピッチャーと戦えるとは限らないし、
PKをいくら決めれても、試合で得点を決めれるとは限りません。

 

何が言いたいかと言うと、
「相手がいる時点で、絶対解があるものと、論理構造が違う」
ということです。

「元カレ、元カノとの復縁の法則」とか、「FXの法則」とか、人間が相手になる取引で、
絶対解なんてものはありません。
あるとすれば、その絶対解を凌駕するように、人間が動くだけですから

もちろん、事例はあります。他者を分析した結果はあります。
でも、その「他者分析」こそが、人間の本質だと確信できますでしょうか。

心理学は、「人間ならば」「◯◯である。」と言えるような相関関係を探している学問だと、俺は理解しています。

俺が研究していたのは、
誰かを裏切る性質を持っている場合、社会的にどれだけ損をするか、
という研究テーマで、論文を書きました。

結果、しっぺ返し戦略(相手が攻めてきたら攻撃仕返す)戦略が、
社会心理学的には強力な戦略であると、結論付けました(R. アクセルロッド著論文から参照した研究結果)

でもね、人間社会それじゃ上手く行かなかったです。
転職しても上手く行かないし。

何が上手くいったかというと、
俺は、自分自身を定義してくれる人と出会った
ことだと思ってます。

「お前は出来るやつだから」
と今の年時で言われると、
「あぁ、そうかも、俺はできるんだから、あなたのためにも頑張ろう」

そう思えちゃうんですよ。

 

でも、俺をわかってるって、
ホントに俺をわかってるわけじゃなくて、
単に、俺にその業務を遂行する能力がある、ということがわかっているだけなんですよ。
つまr,能力があればだれでもいいと。

その成果は、できる部下をぶった切った成果だと認められればいいですが、
それを自分の手柄と思っては上手くいかないでしょう。

部下は、そこら辺は敏感ですから。