創造性のない仕事も、価値になる
例えば弁護士や会計士、あるいは警察とかの職業は、
何も物質を作り出さないし、誰かへ快感や楽しさを与えるサービスでもない。
何をしているか、ざっくり言えば、社会の秩序を維持・向上する仕事をしている。
ミスのない世界、法が侵されない世界、悪意がない世界、
そんな理想の世界を語り、現実を少しでも理想に近づけるように、
『ターゲット』と接するのが仕事だと感じる。
こんな仕事では、何よりも難しいのは、『現状把握』。
職場ではよく、
「as is」(現状のありのまま)と「to be」(将来あるべき姿)を説明する、
とか言うけれど、「as isは何か」を把握しきれないことが多い。
現実を把握したところから、どんな秩序が適用されて、結果どうなるか、
という結論が導かれる。
ある事実にどの法律が適用されるか、と考えるとわかりやすいと思うけれど。
つまりは、現実・事実・過去、を直視して、記述することが、
価値になってるということ。
仮説もなにもなく、ただ過去を記述するだけでも、
それが事実であれば価値になることがある。
最近、自覚した。
昔は、何も生み出さない仕事に価値を感じられなかったけれど、
過去の事実を正確かつ客観的に記述することが、
こんなにも難しいとは思っていなかったんだ。
価値と感じてくれる人が存在したら、
その行為には価値がある。
そう考えるようになった。
価値を生み出すには、何かを生み出す必要はないんだな。