オレンジ色

雑談とか日常思ったこととか

好きなものを主張してみる

休日、本や漫画を読んで過ごすことが多い。

誰とも会わずに、ただ好きな本を読む。
それで、自分は満足しているつもりでいたのだけれど、
毎週末それだとつまらないから、
たまに飲み会を企画して友人と戯れる。

でも、日中を読書でつぶすのにも、限界を感じてきている。
漫画喫茶に6時間ほど引きこもって、
面白そうな漫画に手を出しては、
そこそこだったな、と思って1回しか読まずに本棚に戻す。

買いたい本に出会える確率が低くなっている。
それは、自分がどんなものを好きになるのか、
不明確になっている、ようにも感じる。

高校生のころは、好き嫌いがはっきりしていた。
デスノートるろ剣ヒカルの碁は、何回読んだかわからないほど読んだ。

誰が何と言おうと、「面白い漫画だ!」と、自分の意見を持って言えた。

今、自分が自信を持って、誰かに勧めることができるもの、
何があるだろう。

ビジネス書のおすすめなら言える。

イシューからはじめよ

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

悩むのは無駄だと自覚させられる一冊。
課題設定の品質を上げることで、生産性があがることと、
どのように考えて課題を設定すれば良いかを丁寧に説明されている。

生き方の解がほしいと思っている人にもおすすめできる。
ネタバレすると、「問いがおかしいのだ」、という結論だけれど、
その思考に至る過程がないと、納得できないだろうし。

ほかに、何をやっている?
休日にお酒を飲むことは多い。
でも、どんなお酒が好きかを語れるほどには、
お酒に詳しくない。。。

人に好きだと公言できる趣味は限られる。
何か観賞するか、何か行動するか、
その二種類だ。
何か思考する、という趣味は、他人には理解されにくい。

観賞なら勧めやすい。行動の必要がなくて、ハードルが低いから。
映画しかり、スポーツ観戦しかり、ライブしかり、観光しかり。

マニアックな見世物でも、自分が何も行動しなくてすむのなら、
見てみたいと思いやすいだろうし。

行動も、観賞よりも共感に至る確率が低くなるけれど、
目に見えるから、理解される。

好きな思考は?理解されない。
目に見えないから、せめて言葉にされないとわからない。
言葉にすらされない思考は、理解されない。

至極当たり前だ。

だから、休日にいろいろと哲学的思考に浸って自己満足する趣味は、
つまらない人、という印象を与えることになるんだろう。

確かに、非常につまらない人間に聞こえる。
しかも、その自己満足は、幸せとは遠いときている。
過剰に現実を怖がって、自分の過去の失敗を思い返して恥ずかしくなり、
人を傷つけたことを後悔しなおす。

古傷を自分でえぐるような趣味。
自分で自分の心を傷つけて、安心する。

こんな思考を繰り返している休日、
楽しくはないなぁ。。。

暇だから、こんなことを考える。
落ち込んでいる人は暇なのだ。堀江さんの本にはそう書いている。

厳しいけれど、その通り。

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

だからこそ、
何か好きかも?と思えることを、とりあえずでもやってみようと思ってる。

好きかも、といえることを書き出そうと思って書き始めたのに、
あまり好きなことを書けないまま終了してしまった。

本以外に、あまり観賞をしたいと思えない自分だけれど、
観賞したいと願える対象がある人をみると、うらやましくなる。

もっと、観賞してみようかな。

うらやましがるくらいなら、やってみよう。