オレンジ色

雑談とか日常思ったこととか

個性的な人は普通な人

身近に普通な人っているか?
と言われたときに、
知っていれば知っている人ほど、
「普通な人」とは思えない。

考え方とか生き方とか性質とか、
この人らしいなぁ、という世界を知ってれば、
個性があると、俺は考えてる。

そう考えていたところ、反論を受けた。

『テンションが上がるものがわかりやすい人が、
 個性ある人だと思う』

『理不尽だけど、本人にとって切実な願いを言えることが
 個性だと思う』

確かに、それもある気がする。

俺が考えた個性は、属性に、
何を好きと語り、何を嫌いと語るか、
その掛け算と結論付けた。

20代男サラリーマン × ラーメンが好き × ゴルフが好き × 新聞が好き ×
パズドラが好き × 人混みが嫌い × 温泉が好き

みたいに、好き嫌いを掛け算していくことで、
その人の属性が浮かび上がってきて、
1人の個性になるんだと考えた。

属性や、何が好きか、何が嫌いか、
その個別の状況は、はっきり言って大した個性にならない。

AKBが好きな人がいたとしても、
AKBファンの属性を持つ人はたくさんいる。

周囲にいない属性を持っていると、
個性的のように見える。
でもそれは、その集団内で特殊な属性なだけであって、
大きな枠で見ると同じ属性を持つ人間は多い。

だから、属性の掛け算だと考えた。

でも、一般的な個性としては、
その個性を判断する相手にとって、めずらしいと感じられる属性が、
個性と言われているように感じる。

それは本当に個性か?

俺は一つの属性のみの個性を否定したいと考えて、
こんな思考をしているけれど、
主張したところで世界は変わらない。

「自分の」周囲とは違うものを「好き」あるいは「嫌い」
と主張することで、個性を発揮している気分になっている、
ただの普通の人、イラつくんだよなぁ。

大してなにも変わらないのに、自分は個性的ですよ!
って主張をしてくる人間。

まぁ、個性が大事とか言われて育ったけれど、
個性とは何かって定義がないのだから、仕方ないか。

一つの特徴的な属性だけで個性を主張するんじゃなくて、
いろんな属性の掛け算を互いに理解したときに、
個性を互いに理解するのが、個性だと考えた。

『テンションが上がるものがわかりやすい人が、
 個性ある人だと思う』

という主張には、そう反論して、自己完結。

『理不尽だけど、本人にとって切実な願いを言えることが
 個性だと思う』

という主張には、
理不尽を主張して、それを叶える世の中にするために、
政治家にでもなればいい、と思う。

確かに、理不尽な主張をできる人間には、
属性が通じない。
いや、『理屈が通じない人間』という属性は持っているのか。

でも、それを個性と認めてしまったら、
理不尽な主張がはびこる世界になってしまいそうだ。

社会的には理不尽でも、理屈をもって社会を納得させられれば、
それは社会的な影響ある行動になるから。

「一般に理不尽に感じられることを、
 理屈をつけて主張できる人。」

これも、個性だな。

結論が出た。

個性とは2種類。

①属性の掛け算
ただし、①の場合は、ある属性に属す人間は多いから、
一つの属性で個性を主張できない。

②理不尽に感じられるが理屈のある主張

理屈じゃなく、②のほうが個性的だと感じる。

まぁ、そんなものか。
以上、個性についての考えでした。