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責任をとるって、どういうことか説明できますか?

まとめ

個人が責任をとる目的は、理想的には
「被害者がある程度の満足を得ること」
ということ。

現実には、どうやれば責任を取ったことになるか、論理的な解は存在せず、
先例とのバランスでしか判断できない。

 

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こんにちは、じゅんです。

1年以上前に、個人の責任の意味を書きましたが、
「責任をとる」という意味は棚上げにしていたので、考えてみました。

 

この記事でも、組織ではなくて「個人の責任」をベースに考えてみます。

まず、当たり前ですが、責任をとるときは、責任を果たせなかった場合です。
責任を果たせなかった場合とは、
「役割を果たせなかった場合」です。(その意味は以前の記事を参照ください)

では、役割を果たせなかった場合、責任をどう取ればいいでしょうか。

 

役割を正確に言うと、「誰かが個人に期待する役割」といえます。

例えば、道を歩いていて通り魔に刺された場合、
「人は道を歩いている他人を刺さない」という役割を期待しているのに、
その役割を果たさない通り魔がいたのです。
だから、通り魔は責任を果たしておらず、責任を取る必要があります。

 

企業でいうと、上司の期待に部下が達さなかった場合などでしょう。

で、ここで言う被害者は、期待した人です。
責任は、期待される役割によって生じるため、
期待を裏切られた被害者に対して、責任をとることになります。

前者の通り魔の場合、期待した人は刺された人だけでなくて、
その道を歩いていた人、もっと言えば「社会」が、
道端で人を刺さないことを期待していました。

だから、この場合通り魔は、刺した被害者と、社会に対して、
責任を取る必要があります。

一方、企業で上司の期待に沿えなかった部下は、
上司からと企業全体から期待されていたため、
部下は、上司と企業に対して責任を取る必要があります。

先ほどの通り魔よりは、責任の範囲が狭くなりましたが、
部下を採用したのは企業ですから、上司だけでなくて、企業も含まれます。

 

では、責任をどうとりましょうか。

通り魔は、刺した人に対して慰謝料と、刑法による社会的制裁を受けるでしょう。
部下は、企業での給与と昇格に影響があるでしょう。

責任のとり方はさまざまですが、どんな方法でも、
「役割を期待した人」から見て、罰を受けたように見える、
という共通点があります。
通り魔は被害者だけじゃなく、「期待した人=社会」に対して、
責任を取ることになるのです。

 

で、責任はどうやれば取れるかという答えは、場合による、としか言えません。

役割を期待した人が、「役割を果たせなかった責任を取った」と納得することが、
究極的には責任を取ったことになります。

でも、例えば殺人事件の遺族が、加害者に対して、
何をやっても許せないと思うこともあるでしょう。

でも、加害者が何をしても、被害者は戻ってきません。
「殺さない」という期待を裏切った加害者が何をしても、
遺族が納得できない場合、責任は取ったことになりません。

 

じゃぁ、被害者や遺族の感情が晴れるまで、
何か代償を払い続けなければいけないか、といえば、
責任をとる、という意味ではYESですが、
現実的にはNOです。

そのバランスは、論理的に規定することは不可能で、
先例とのバランスでしか語れません。

だから、世間の意見とそぐわない判例が出たり、
韓国と日本の確執のようなことが起きるのです。

 

まとめると、
責任は、誰かからの期待を果たせなかった人がとるものです。
責任を取るとは、理想的には、被害者(期待した人)が満足することですが、
現実には、先例とのバランスをみて代償を支払うしかできません。

 

なお、当然ですが、期待されるいわれがない人からの期待には、
答える必要はありません。

期待してたのに!と言われても、
そんな期待は筋違い、ということもよくありますので、
自分が思う役割と、周囲が期待する役割とがすれ違わないよう、気をつけましょう。

 

それではまた。