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オレンジ色

雑談とか日常思ったこととか

終わりが近いときほど輝ける

人間の心理として、

終わりはちゃんとしていたい、

そう思うんだろう。

 

死ぬ前には、ちゃんと整理して死にたいし、
死ぬとかじゃなくて、仕事を終わらせるにしても、
きちんと終わらせたい。

人間関係も、曖昧なままじゃなくて、
きちんと終わらせたいと願うんだ。

 

でも、人間は終わりを見ないように生きている。
人間、と言ったら語弊があるから、
「俺は」に言い換えて考えよう。

俺は、終わりを見たいとは思わないし、
終わりを見たいと願う周りの人もいないと思ってる。

人間関係は、終わらせるのではなくて、
曖昧に、時間の流れによって風化させる。

叩き潰すのではなくて、
磨けば輝きが戻るかもしれない可能性を残しながら、
朽ち果てるように。

 

叩き潰すことが、良いことだとは思わない。
でも、そのほうが、風化させるよりも、自分に正直なんだと思う。

相手には明示せず、明言せず、ただただ朽ち果てるのを待つ。

 

人間関係、終わらせてばっかりだな、最近。
始めたいものだ。

 

人間関係をはじめて、空気を読まず本気で話せるようになりたい。

互いに本気で話したい。

洒落や冗談なんていらない。

 

話題なんて、互いの過去を遡れば無限に存在する。

 

そんな関係を一度手に入れた。

でも、奪われた。離れた、というほうが正しいか。

 

そこから、ピエロを演じて、
自傷的に酒を呑んで、我を忘れた。

明日が来ることを信じずに、
ただ生きているだけの自分を傷つけ、亡き者にするために、
大衆に溶け込ませた。

 

それでもまだ、今日は生きているし、
明日も生きているんだろう。

まだ終わらないと信じているし、
だからこそ、惰性が続いているのも気づいてる。

終わりが近くなると、締め切り効果と呼ぶべきか、
がんばろうと思うようになる。

 

毎日死ぬ気で生きれば、
何かを終わらせる気で生きれば、
俺も輝けるだろうか。

 

気持ちの乗らない空虚な日々、
肉体は生きているけれど、精神が死んだ日常、
そんな日々から、解放されるだろうか。

 

わからない。

ただ、今が間違っているのはわかる。

 

終わりが定められた物語は、終わりを自覚するころから、
クライマックスとなっておもしろい。

非日常シーンというべきか。

すなわち、日常におもしろさなんてないということだ。

朗らかな、和やかな、安心感のある日常、

そんなのは長く続かない。続かせるとしたら、嘘が必要だ。

社会は嘘でできている。

本音を語らずに生きている。

そうじゃないと、互いに生かせないから。

 

クローズな人間関係よりも、多人数とつながったほうが、
今の社会は得するようにできている。

 

一人の人間すら、理解しきれないのに、
大勢を相手にするということは、
互いに利用しているだけということ。

大した意味もなく、人間関係を構築してしまえるということが、
美徳なんだろう。

そうしたら、人間関係の終わりも、大した傷にならない。
気持ちが乗っていない関係なんて、氷でできたガラスのように脆い。

互いに語り合える関係がいい。

終わりが来なくても、毎日に終わりを感じていて、
本音を語り合えるような。

そんな会話がしたい。