がんばりをけなす世界観
がんばろうと思っても、がんばった姿を誰かに見せたいとは思わない。
がんばった結果が出なかったら、なぐさめと哀れみの目線で見られる。
すなわち、同情されるんだ。
下に見られるんだ。
そんなの、いやだ。
だから、がんばってないふりをする。
試験勉強なんて、どれだけやってるかを自分自身でも把握しない。
これだけやったのに・・・
って思いたくないから。
誰にもがんばった姿をみせず、満足するまでやって、
それで結果を待つ。
がんばっても報われないと、人格を否定された気になるから。
自分の人生を否定された気分になるから。
「お前ががんばった時間は、成果に結びつかなかった」
そう言われてるみたいで、つらいから。
だからこそ、努力を努力を思わないようにして、
時間を測定しないようにして、自分の頑張りを否定する。
忘れる。
そうやって、がんばってる事をひた隠しにしてきたけれど、
最近になって、がんばってること自体が、他人にとって価値になることを理解した。
がんばってる人を見ることで、
例えば、「自分もがんばろう!!」と思えたり、
「あれ?こんなにがんばってるのにそれだけ?実は自分はすごいんじゃ・・・」
と思えたり。
がんばってる姿を晒すことも、必要なのかなぁ、と。
得する、と言えばそうかもしれないけれど、
仲間ができやすい気がした。
なにわともあれ、がんばろうかな。